あいつの頭はあいうえお

昼起床後大学。大学図書館で千葉雅也著『勉強の哲学 来たるべきバカのために』を借りる。面白くて一気に読む。勉強の抽象的な原理の話から具体的実践法まで。数年前、おそらく同種の本で外山滋比古の本を読んだはずだがそっちは全然覚えていない。当時は知的体力がなく全然読めてなかったんだろう。

電車が汗臭くて嫌な季節である。明日もGWなのに大学。

 

この前就活で上京した地元の友人と待ち合わせした時に、彼は10分ほど遅刻したのだが、思い返してみれば私が郷里の秋田にいた頃も誰もが当然のように遅刻しそれで平然としていたように記憶している。

前の彼女には、私がよく遅刻することをチクチク詰問され直すように言われていたのだが、私のような田舎者はたかが5分の遅刻で……と思ってしまうのである。彼女は都市部の出身で生粋の都会っ子であるから、少しの遅刻を重大な過失の様に思ってしまうのではないかとふと思った。

考えてみれれば東京に来てからは私の他に遅刻する人はあまりいないように思われるし、私は完全に遅刻キャラとして通っている。

そんで、秋田にいた頃はそれが普通で、釣りに行くときなんかも皆が5分くらい遅れて到着するのはザラだったし30分来なくて「俺やっぱいかねーわ」なんてことも偶にあったしで、要するに田舎時間と都会時間があって、現代人は遅刻癖があればまず発達障害を疑われるわけだが、どうも安直にそう断言してよいとは思えないのだ。

あまりに彼女が重大事のように言うんで、日本における遅刻概念の誕生について詳細に論じた本を図書館で借りてきたが、当時は色々忙しいことが立て込んでて、ほとんど読まずに返してしまった。たしか鉄道の敷設とともに時間厳守意識が広まったというようなことを書いていた。その伝でいけば、私の地元は電車なんて1時間に1本、私はほとんど自転車で移動して電車を使わなかったんで、時間厳守の意識が刷り込まれないまま成長してしまったということだろうか。決して待ち合わせに遅れてもいいということではなくて、田舎と都会の人間で、時間を守ることの重要度に幅があるような気がする。